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歴史資料から知る

立岩に関する歴史資料からわかること。

​文献が見つかる度に更新予定です。

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情報01
 温泉郡河野村の中に「立岩村」があった。

・参考資料「温泉郡河野村地図」所蔵:松山兎月庵

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情報02
 立岩という地名が最初からあった訳ではない。​飛鳥時代に「立岩村」ができるよりも前に「那賀(なか)」という集落があった。その名残として、今も立岩には「中村」という地区がある。​

・参考書籍「河野村史」昭和29年10月1日発行.岡田印刷所.

   著者:景浦勉.発行者:愛媛県温泉郡河野村 河野公民館.所蔵:松山兎月庵

  p12「河野郷について見るに、風早郡には粟井・河野・高田・難波・那賀の五郷があった。」

  p12「那賀は今の立岩村邊であろうと察せられ、現に仝村には中村庄府と云う字がある。」

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情報03
 源平合戦で高縄山城の城主「河野通信」が源氏に味方していたとき、平氏に味方する近国の豪族たちが河野氏を征討しようと攻めてきた。高穴城や日高城を前線として防戦したが、敗戦したため河野通清は戦死した。

・参考書籍「河野村史」昭和29年10月1日発行.岡田印刷所.

   著者:景浦勉.発行者:愛媛県温泉郡河野村 河野公民館.所蔵:松山兎月庵

  p40「源氏の勢力を殲滅せんとして、共に河野氏の根據地なる高縄山城を不意に攻撃した。」

  p40「軍兵を勵まして高穴・日高等の諸要塞を守らしめ、防戦に全力を傾けた。」

  p40「しかし衆寡敵せず、諸塞は相ついで陷り、城の形勢は溢悲運に赴いた。」

  p40「終に敵の重圍に陷り、一族と共に最後を穟げた。」

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情報04
 河野氏が地方の豪族として有名になるまでの出世の流れ。
越智玉興の弟の玉澄(宇穈大領)→元興(温泉郡司)→元家(久米の權守)→宗時(和介大夫)→爲世・爲時・時孝(浮穴御館)→爲綱(風早大領)→親孝(北條
大夫)​→親淸(河野新大夫)→通淸(河野鄕高繩山)

・参考書籍「河野村史」昭和29年10月1日発行.岡田印刷所.

  著者:景浦勉.発行者:愛媛県温泉郡河野村 河野公民館.所蔵:松山兎月庵

  p27「通淸に至り、河野鄕高繩山を中心として、鎌倉初期における地方の豪族として、広く世に知られるようになった。」

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情報05
 立岩川の支流である安後川の水源「安後瀧(あごだき)」が中村の南方十町餘の所にある。瀧は三層になっている。

・参考書籍「伊豫乃古跡」昭和9年7月廿日発行.民友社印刷所.

  発行人:淺井伯源.発行所:愛媛出版協会.所蔵:松山兎月庵

  p205「安後瀧 中村の南方十町餘のところにあり、立岩川の支流安後川の水源である。瀧は上中下三層をなし層毎に窟あり、上層が高さ三間、中層が高さ七間、下層が高さ十間、銀絲萬條、綿々として絶へず亂(みだ)れず頗(すこぶ)る奇觀を呈してゐる」

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情報06
 山邊赤人の歌として伝えられている滝本十二ヶ滝の歌ある。
「石走る瀧もとゝろに鳴く蟬の聲をし聞けば宮や思ほゆ」

・参考書籍「伊豫乃古跡」昭和9年7月廿日発行.民友社印刷所.

  発行人:淺井伯源.発行所:愛媛出版協会.所蔵:松山兎月庵

  p205「十二瀧 瀧本にあり、傍らに熊野神社を祭つてゐる、老松鬱蒼として晝尚ほ暗く、神秘の境地をなしてゐる。山邊赤人の歌として傅へられてゐるものがある。石走る瀧もとゝろに鳴く蟬の聲をし聞けば宮や思ほゆ」

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情報07
 猿川に夫婦石があったが、洪水で流されて今はどこにあるかわからない。

・参考書籍「伊豫乃古跡」昭和9年7月廿日発行.民友社印刷所.

  発行人:淺井伯源.発行所:愛媛出版協会.所蔵:松山兎月庵

  p206「夫婦石 猿川にあり、現在此の石の所在詳でないが、村人は洪水の爲め流失したと傅へてゐる。」

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情報08
 蓮生寺には紀貫之にまつわる品がたくさんあったが、戦でいくつも焼失した。

・参考書籍「伊豫乃古跡」昭和9年7月廿日発行.民友社印刷所.

  発行人:淺井伯源.発行所:愛媛出版協会.所蔵:松山兎月庵

  p132「蓮生寺 此寺に貫之の釜と云うものあり、廻り一尺五寸六分、村人の所有物として珍蔵せりとある。舊記によると、貫之所持の物品、太刀、自書、御影、傅紀等は悉皆この寺に奉納したが、後ち兵火の爲に焼失した。但し太刀と釜と自筆は現存してゐると記載してゐる。」

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情報09
 蓮生寺の大般若心経600巻の筆者は大島郡南方觀音寺慈觀。

・参考書籍「伊豫乃古跡」昭和9年7月廿日発行.民友社印刷所.

  発行人:淺井伯源.発行所:愛媛出版協会.所蔵:松山兎月庵

  p132「蓮生寺 此の寺の大般若經六百卷は、國寳の價値あるものと山本信哉博士の鑑定である。筆者は大島郡南方観觀音寺慈觀であると。」

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情報10
 現在は浅海地区の「萩原」は、昔は立岩地区に属していた。

・参考書籍「伊豫温故録」明治27年10月13日発行.発行並印刷所 向陽社.

  著作者:宮脇通赫.発行者:山本盛信.印刷者:中川義方.所蔵:松山兎月庵

  「明治二十二年の町村制舊村を大字とす 立岩村 才ノ原 瀧本 猪木 猿川 中村 米々野 庄府 儀式 小山田 猿川原 尾儀原 萩原」

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情報11
 立岩が風早郡の那賀郷と言われていた頃の記録によると、各地区の石高は以下の通り。
 尾儀原63石8斗1升2合、猿川原114石6斗5合、小山田350石4斗8升1合、中村109石7斗5升、儀式210石5斗4升、庄府218石1斗5升、米之野194石9斗、猪木33石1升、瀧本94石4斗7升7合、猿川356石2斗2升4合、才之原191石3斗4升6合。

・参考書籍「伊豫温故録」明治27年10月13日発行.発行並印刷所 向陽社.

  著作者:宮脇通赫.発行者:山本盛信.印刷者:中川義方.所蔵:松山兎月庵

  「村數高數等左の如し」

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